さくらさくら2009

  • 26 千鳥が淵の月
    この季節だけは日本人に生まれてよかったと思う。

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2006年1月 4日 (水)

ALWAYS 三丁目の夕日

やっと年賀状半分とクリスマスカード(爆)ポストに投函してきました。
長いと思った休みも今日で終わり、明日から仕事です。
前半スケート観戦疲れでぼーっとしてたせいか、やろうと思ってたことほとんどできず。結局大掃除もしてない。HDDの掃除だけ。
でもまあ、久々に何も考えずにのんびりできたのはよかったかな。

お休み最後の日、水曜日レディースデイなので、ロングラン中の「ALWAYS 三丁目の夕日」を見てきました。
歩いていけるところに映画館、というのもいいような悪いような。開映10分前に財布だけ持って自転車飛ばす。劇場へのエレベーターの中で、ハンカチもティッシュもないことに気づく。しまった~!泣くよね?泣くよね?絶対。
やっば~;;でももう遅い。

で、やっぱり泣きました~。涙と鼻水どうしたかは内緒(笑)
リリー・フランキーといい、なんか最近東京タワーに泣かされてるような?
いやしかし、よく復元しましたね。昭和33年の東京。どこまでセットでどこからCGなのか全然わからないくらい自然なんですけど。新横浜のラーメン博物館をもっと巨大で精密にした感じ?
わたし自身は昭和30年代の記憶はちょっとしかない(でもある)し、東京に出てきたのが50年代だからもうすでに都電もなかったけど、あの景色と人々の思いは全国共通だったろうと推測してます。
そうそう、みんなダマの浮いたセーター着てたし、子どもは汚かった。映画の中の子たち、みんな正しい昭和の子どもたちでした。
湯たんぽのお湯で顔を洗う。モノはなくみんな一様に貧しかったけど明日の心配だけしてればよかった。幸せな時代。
上野駅のセットも懐かしい~。あのぶら下がった地方列車名の名前の札!
テレビで大騒ぎもわかる。映画では布のカバー付きだったけど、木製の観音扉付きのとかもあったよね。
わたしが物心ついた頃にはもう力道山死んでたけど。祖父の寝室の壁に新聞記事が貼ってあったので憶えてる。

懐かしい小道具に目を奪われがちですが、この映画の真骨頂は失われた人どうしの繋がりっていうのかな、いわゆる人情ってやつ?
集団遊びや少年雑誌でつながっている子どもたち、個性豊なご近所さん。冷蔵庫の普及で仕事を失う氷屋さんとか、描き方細かい。
集団就職の子を親代わりになって世話するのはもちろん、赤の他人の子を引き取ってめんどう見るとかって、当時はたぶんそんなに珍しくなかったと思う。わたしの祖母もふらふらしてた戦災孤児に食べ物あげたりしてしばらくめんどう見てたって。
そう、昭和33年って、まだ「戦後」の影が色濃く残ってて、なおかつ東京タワーに象徴されるように復興への希望が見えてて、しかも人の心がまだ信じられた時代。(ちなみにこの年も戌年です)
この映画が今の人の心をつかんでロングランしてるのは、そのへんかな。何十年たっても夕日が美しいのは変わらないように、人間も信じられると思いたい。

キャストで一番印象的だったのは、やっぱり堤真一さん。もう絶滅したガンコオヤジ系、あそこまでキレル役ができるとはかなり衝撃。ちょっと惚れたかも(笑)

プログラムが売り切れで残念。

東京タワー。

TokyoTower051227A ←これは暮に芝公園でくるみ割り人形見た帰りに通りかかった増上寺の正面から。

TokyoTower051227B もうちょっと拡大→

この前日までこことは目と鼻の先のプリンスホテル・パークタワーであっきーのクリスマス・ディナーショーがあったのです。話を聞くとなかなか衝撃的な内容だったみたいで、見れなくてちょっと悔しい。

ところでこのブログで改行入れると勝手に空行(pタグ)が入るのは、Shift+Enterキーで回避できるとわかりました。FAQに書いてあった。その仕様ってどーよ?と思わないでもないが…。

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