さくらさくら2009

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2008年7月 3日 (木)

わたしはかもめ、いいえわたしは女優

P1010315

2008年7月2日(水)14:00~
「かもめ」
赤坂ACTシアター

■ CAST
藤原竜也
鹿賀丈史
美波
小島聖
中嶋しゅう
藤木孝
藤田弓子
たかお鷹
勝部演之
麻実れい
■ STAFF
作:アントン・チェーホフ
演出:栗山民也

初SAKASです。N列少し後ろですが、センターど真ん中、全体が見渡せて良い席でした。
感想は一言で表現しにくいですが、まずはあの難しい戯曲をうまく舞台化したな、と。
去年見た「ロマンス」で、チェーホフが一生懸命「喜劇」だと強調してたのが少し理解できたかも。
でも1幕ちょっと意識飛んだけど(笑)
2幕の緊張感、そしてラストシーンには鳥肌立ちました。藤原くん、やっぱりうまい。
そして美波ちゃん、「エレンディラ」のときより格段に成長してる。いや驚いた。上り坂のときってこういう感じ?キラキラ輝くオーラ。これからが楽しみだ~。

後でもうちょっと書き足します。(たぶん)

【追記】
時間が経ちすぎたので、別のとこに書いたことを流用。手抜きでごめん。

美波ちゃんのニーナ、前半の女優をめざし、有名な作家に胸ときめかせる、初々しい女の子はエレンディラの無垢さを思い出させ、後半の愛に疲れ、人生に疲れながら、再び女優として生き直す決意をする強かさに美波ちゃん自身の女優魂を感じました。
(ただあこがれだけで)湖にひかれてやってきただけのかもめ(幼い娘)から自分の足で歩く女優へ。「わたしはかもめ。いいえ、そうじゃない。わたしは女優」このセリフにある一種の危うさまでも陰影深く演じる美波ちゃんの姿に着実な成長を見た気がしました。

藤原くんのトレープレフもよかったです。あの唐突なラストもびっくりするくらい自然でした。聞いたところによると公演前半では、ニーナが去ったあと大泣きしてたらしいですね。後半はショックのあまり呆然と原稿を破るという演技に変わったらしいです。わたしはその呆然バージョン見て、鳥肌立つほど感動したので、前半見た友だちが演技過剰とか言ってるのが意味がわからなかったのですが、なるほどそういうことでしたか。
トリゴーリンに捨てられ、女優としても先の見えないニーナがもしかして自分のところに帰ってくるかもという淡い望みも絶たれ、生きてる甲斐もないと思ってしまったんでしょうかね。何かこの人のふわふわと根付かないというか、地に足着かない感じ、母の愛を実感できない焦りや不満、この世への帰属感の薄さと絶望感は、ちょっといまどきの若者にも通ずるものを感じてしまいました。うちのルドルフもあんなだとちょっと困るけど自信ない。原作の「宿無し」ってセリフが「パラサイト!」になってるのが笑えた。

全体的にあの単調な戯曲をうまく舞台化したな、というのが第一印象です。他の舞台を見てないので比較できませんが。(むか~し、劇団四季のをテレビで見ました)
本だけは何度も読み、見終わったあとも確認のため読み直しましたが、やっぱり「人」が演じると全然違う。トレープレフのお芝居に「生きた人間」が感じられないというセリフがありましたが、彼自身が「生きて」なかったのかな~とも思います。
回りを固めるベテラン俳優さんたちの力も大きいですね。お名前も知らず、プログラムも買わず(をい)、確認もしてませんがあのお医者さん、先生、マーシャのお父さん、みんな安定して実力ある役者さんでした。(すいません、ロシア人の名前ややこしくておぼえられないし~)

去年見た「ロマンス」でチェーホフが一生懸命、自分が書いてるのは「喜劇」だ!と強調してたのがなんとなくわかったような?そのまま笑えるところも、ちょっとブラックな笑いも含めて。人生は見ようによってはすべて喜劇だ。

まだあるけど、ここまで。

東京楽後のイベントで、藤原くんは最後まで役がつかめなくて試行錯誤だったと語ってたようですが、その後「トレープレフ」をつかむことはできたんでしょうかね?その変化を確認するため、広島や名古屋の舞台もできれば観てみたかったです。

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