さくらさくら2009

  • 26 千鳥が淵の月
    この季節だけは日本人に生まれてよかったと思う。

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2011年3月12日 (土)

午前4時眠れないまま

もうすぐ夜明けですが、まだ余震の続く中眠れずにいます。

みなさまご無事ですか?

わたしは元気です。ルドルフもみかんも無事です。

東京でこんな強い地震があるとは、いつか来るだろうとは思っていても、いざ実際に起きてみるまでまったく実感として想像することはできませんでした。震度5っていうのは自分史上2度目の大きな揺れでした。

震源地から遠く離れた東京でこれだけの揺れですから、東北被災地の地震の規模と現地のみなさんの不安と恐怖はいかほどばかりかと思います。どうぞお気をつけて。亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、まだまだ続く火災や津波による被害ができるだけ小さなものに押さえられますように。

会社は8階。港区。下から突き上げるような振動を感じたあと、大きな横揺れ。壁がみしみし言って目地が剥落。机の上のお茶のボトルが倒れ、書類はびしょぬれ。スタンド型のPCがバタバタ倒れ、何が落ちたかわからないけどガチャンという大きな音。入口近くの男子社員がドアを開放して押さえるようにしててくれました。何度か大きな揺れがあり、つい最近のNZの地震のニュースが頭をかすめ、一瞬もうダメかとも思うくらい。ほんとに泣きそうでした。

少し落ち着いてから上司の指示でいったん外に退避。まだ余震が続いており、回りのビルが揺れているのがはっきり見えて怖かったです。

裏の広場には同じように退避してきた人々がいっぱい。同じ街区に職場のあるルドルフの姿を探しました。思ったよりすぐにみつかって、無事を確認。ホッとしました。声かけたらちょっと迷惑そうにしてたけど。

FMラジオ付のオーディオメディアプレイヤーを持っていたので、宮城県栗原(って聞いたんですが三陸沖でしたね)が震源地と知り、仙台の妹や秋田の実家に電話してみましたが、まったくつながらず。

帰宅してよいと言われましたが、都内の電車は全面運休中で、日が陰ってだんだん寒くなるので、再び会社に戻りました。

まだ体がゆらゆらする感じで、ほんとに揺れてるのか船酔い状態です。余震が続き不安な中、帰るなら歩くしかありませんが、みかんが心配で。会社の同僚が同じ方向なので一緒に歩こうと言ってくれたので決心して歩き出しました。電車通勤で片道1時間半の距離、歩いたら何キロあるのか、何時間かかるのかまったくわからず。

新橋駅前から外堀通り~溜池~赤坂~四ツ谷から新宿通り~新宿から甲州街道と歩きましたが、こんなに人がいたんだ?!っていうくらい歩道が人でいっぱい!横断歩道では足元が見えないほど、満員電車みたいです。

一緒に歩いてくれた同僚は女性でフルマラソン走れるくらいの健脚なので、ついていけるか心配だったんですが、そんなに速く歩けなかったのが幸いして無理のないペースで歩けたのがよかったです。

途中のビルやお店に「トイレ使ってください」「休憩だけでもどうぞ」「帰れない方、終夜スペースあります」などの張り紙。「食べてください」とバナナやパンの差し入れもありました。みんなやさしい!人の思いやりが身にしみました。

こんな日に限ってデジカメ忘れた!

一生に一度あるかないかの体験を写真に記録できなくて残念

なかなか繋がらなかった電話がつながって、実家のみんなの無事を確認。でも停電が続いてるみたい。秋田の報道が全然なくて、まったく状況がわからなかったのでとりあえず安心。でも仙台の妹とはいまだ連絡取れず

新宿過ぎたあたりで地下鉄が動き出したとの情報。でも残念ながらもう間に合わない。タクシーもバスも長蛇の列。走ってはいるけど、ほとんど進まないのでやっぱり歩いた方が早い。

新国立の前を通過。不思議な感じ。

たまたま笹塚駅の近くを歩いているときに京王線の運転再開を知りました。駅に行ってみたらちょうど待ってた電車に乗れました。思ったより全然空いてたのは、きっと情報が行き届かなかったんですね。ラジオ聞けてほんとによかった!

電車は各駅停車のみ、かなりゆっくり運転で、ふだん特急で20分のところ、結局1時間半かかって最寄り駅に着きました。普通に電車が走るありがたみを初めて実感しました。

コンビニですぐに食べられるものを買って(あまり残ってませんでしたが)、帰宅してみたら、なんとルドルフの方が先に帰ってました。途中なんどかメールしたりしてたんですが、まったく連絡取れなくて心配してたのに~。まあででも一度顔を合わせているので、若いし帰る気なら歩いてるだろうし、泊まりなら会社に泊まっただろうとは思ってましたが。

家の中は思ったほど落下物もなく、ほぼ無事でした。みかんも普通の顔してました。臆病なので、うろうろせずきっと押入れの奥にでも隠れていたんでしょう。

結局歩いたのは約4時間。電車と合わせて約5時間半かかって帰宅したことになります。ルドルフもほぼ同じルートだったらしい。

歩きながら思ったのは、こういうとき都や国は助けにならないのだな、ということ。途中の親切はすべて民間の善意でした。帰宅難民のためにいくつかの施設を開放したみたいですが、そんな情報歩いてる人のところには全然届かず。わたしはたまたまラジオを持っていたのと、バッテリーの残りを気にしながらケータイでネットチェックできたので、ある程度の最新情報を得ることができましたが、そうでない人はどこで受け入れてくれるのか、電車が動いているのかどうか、まったくわかりません。

これだけの人が大きな道沿いに歩いていることがわかってるのだから、食べ物の差し入れや交通情報、最寄りの受け入れ施設情報提供などは都や政府が率先してやってくれてもよかったのにな、と思いました。こういうときのために税金払ってるのにな。都や各官公庁の職員は見えないところで何かがんばってくれてたのかもしれないけど、それが実際に必要としてる人のところに届いてなかったのが残念。

そしてJRは早々と今日中の復旧無理と宣言してしまいましたが、終電近くまで運転再開に努力し、ほぼ終夜運転してくれた私鉄や地下鉄のみなさん、ありがとうございました。ほんとうに助かりました。

四ツ谷駅も新宿駅もJRの入り口は閉鎖。トイレも使えず、なんだかなって感じ。こんな時だからせめて中に入れてくれたらな。

帰宅してからテレビで被害状況見るにつけ、大変なことになってると認識。

火の海気仙沼、仙台その他の津波被害、千葉でも火災、映像で見るとほんとに怖い。津波に飲み込まれる名取の映像! 原発も心配。岩手の陸前高田が壊滅状態との情報も。

東京がこの程度の被害ですんだのは単に運がよかっただけとしか思えない。交通情報が入らないくらいは自助努力でなんとかするしかないのかも。

どうかどうか、現地のみなさんお気をつけて。妹含め友人知り合い、まだ連絡取れない人たちが無事でありますように。

眠れないけどちょっと寝ます。

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