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2005年4月25日 (月)

ちょっと前に書きかけた本の話の続きを

「対岸の彼女」角田光代(文藝春秋社)
第132回(っていつ?)直木賞受賞作らしいのだけど、最近はめぼしい文学賞の受賞ニュースすらチェックしてないので、初めて見る作家。
腰巻(帯)コピーは「大人になれば、自分で何かを選べるの?」
女性ならば特に、誰でも身におぼえのある小中学生時代(場合によっては高校でも)友だちどうしの陰口や仲間はずしや意地悪を大人になっても職場や地域社会で再び体験してうんざりしたことがあるだろう。
いったいいくつになったらわたしたちは本当に「大人」として気持ちよく暮らしていくことができるんでしょうね?
子どものときから友だちづきあいが苦手で、結婚して子どものいる今でも公園デビューに悩んだり、仕事場での陰口や裏切りに傷ついたり、夫や義母の配慮のない言葉にムカついたりする小夜子に、子どもを持って働く母親ならきっと共感するはず。
一方で、小夜子と同級生ながら高校時代に女友だちと家出して「事件」を起こし、苦い思い出を胸に秘めた独身で起業家の葵。今風に言うと負け犬?この二人が出会い、誤解や思い込みを乗り越えて心を通わせるまでの物語。
後半繰り返される問い「私たちは何のために歳を重ねるのだろう?」に対する答えが個人的にかなり身にしみた。

生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない。
また出会うためだ。
出会うことを選ぶためだ。
選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。


ほんと人間って進歩がないなーと思う。
自分自身のことをふりかえっても今の悩みは中学生の頃とたいして変わらんし(爆)
きっとこれってさー、もしかしたら一生変わらないのかもしれない?と思う。
50過ぎても60過ぎても90になっても中学生みたいな恋をして中学生みたいに友だちどうしで意地悪したり気遣ったり、妬んだり逆恨み(笑)したりしてるんだろうな。悪意がなくたって傷ついたり傷つけたりすることはあるんだし。
でもそれがつらいからって、人との出会いを避けてたらもっと進歩がないし。
ただ年取ったら少しは上手に自分で自分のお守りができるようになりたいとは思う。

まだもうちょっと続く。

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